カンボジアの地雷博物館で学んだ10のコト

東南アジア2ヶ月ぶらり旅

仕事をやめて東南アジアを2ヶ月ぶらぶらしてきました

2ヶ月の全行程、ルートマップはこちらの記事をどうぞ
東南アジア2ヶ月ぶらり旅のルートマップ

カンボジアのシェムリアップ→タイのチャン島→バンコク→チェンマイ→パーイ→チェンマイ→チェンライ→チェンコーン→ラオスのフエサイ(ファイサーイ)→ルアンパバーン→タイのチェンマイ→チェンダオ→バンコク→スラタニ→サムイ島→タオ島→ハジャイ→マレーシア クアラルンプール→台湾

シェムリアップの中心地からトゥクトゥクでちょっと遠出して、水中遺跡のクバルスピアン、女の砦 バンテアイ・スレイを観光した帰りに、地雷博物館に寄ってきました

カンボジアといえば、地雷

悲しいつながりだけど、わたしにとってカンボジアという国をはじめて知ったのは、地雷がたくさん埋まっている、という事実だった

たしかテレビで地雷撤去の特集をやっていたんだと思う

地雷という卑怯な武器

民間人に大怪我をおわせて、手足を奪い、介助なしでは動けない体にしてしまう

そんな恐ろしい武器がいまだにそこらじゅうに埋まっていて、その撤去を行うことがいかに大変か

地雷博物館があると聞いて、寄ってみるコトにした

アキラの地雷博物館

はじめにこの名前を聞いたとき、アキラだからてっきり日本人が作った地雷博物館なのかな?と思ってしまった

アキラはれっきとしたカンボジア人

アキラっていうのは、日本人にもらった名前なんだって。

↓展示されているおびただしい数の地雷。地雷といっても、いろいろな種類がある
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アキラの地雷博物館は、カンボジアのシェムリアップ郊外、バンテアイスレイの近くにある小さな博物館です。カンボジア人で地雷除去活動家であるアキ・ラー氏(通称アキラ)が、自身で撤去した地雷や不発弾を集めて安全処理・展示をして「地雷博物館」として運営しているものです。約5,000個の兵器が展示されていて、それはアキラ氏が撤去した地雷の1割にすぎないとも言われていますが、地雷の怖さ、戦争の悲惨さを十分に伝えています。さらに寄付を元に、地雷の被害にあった子供たちの自立を支援しています。 (引用:VELTRA)
https://www.veltra.com/jp/asia/cambodia/ctg/

アキラの地雷博物館に展示されていたアキラのメッセージがとても印象的で思わず涙ぐんでしまった、、、

英語のメッセージだったから、ここで和訳しておきます

アキラのメッセージが少しでも伝わりますように

(日本語訳)
私の名前はアキラ。この博物館の創設者です。カンボジアの戦争が終わって以来、武器を排除して収集してきました。自分がいつ生まれたのか分かりませんが、1970年だと聞いています。私は10歳の時にはじめて銃を手にしました。クメールルージュの少年兵になったときのことです。両親はわたしが5歳になる前にクメールルージュによって殺されたと聞かされました。戦争でたくさんの友人や民間人が亡くなるところをみてきました。カンボジアの兵士として、それは当たり前の光景でした。

兵士だったとき、わたしは地雷を埋めていました。何千もの地雷です。その当時、わたしは地雷がどんなにひどい武器で、地雷が自分の国の人々にどんな痛みをもたらしてしまうのか、分かっていませんでした。子供のころから大人になるまで、わたしが知っていたのは戦争だけでした。それが普通だと思って生きてきました。わたしは地雷を扱うのがとても上手で、兵士として地雷についてのすべての知識を学びました。地雷はわたしの友達でした。地雷で食べ物をとったり、寝ている時に地雷が守ってくれたりしたからです。しかし、地雷はたくさんの罪のない人々を殺し、傷つけました。

1987年にベトナム軍に捕まって、クメールルージュを離れてベトナム軍の兵士になりました。1989年にベトナム軍が撤退してからは、カンボジア軍の兵士としてクメールルージュと戦いました。1993年にカンボジアに来た国連の平和維持活動に参加し、地雷と不発弾の撤去方法を学びました。国連がカンボジアから撤退してからもフランスのNGOに参加しました。わたしはすでに地雷について知り尽くしていたので、地雷撤去の仕事をとてもうまく行うことができました。その後、博物館を作るのにじゅうぶんな武器と地雷が集まるまで、みずから何年も地雷撤去を続けました。

1997年にシェムリアップにはじめの博物館を作りました。その後、何年も計画を練り、世界中からの友人サポートを受け、この場所にたくさんの子供のケアもできる施設を作ることができました。私の妻がこの博物館の運営と子供たちの世話をしてくれていました。残念ながら妻は2008年に他界しました。妻がいなくて皆さびしがっていますが、我々の熱心なスタッフたちが妻が誇れるような場所になるよう働いてくれています。わたしとスタッフたちは家族になりました。

何年もの間、わたしは多くのインタビューに答えてきました。しかし、もう過去について話すことに疲れました。心が痛む話をなんども繰り返すことはとても悲しいことです。わたしは家族とともに過ごす未来に向けて前を向きたいのです。わたしの話をもっと聞きたい方は、ぜひ本を購入してください。

↓生々しい武器の展示
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↓展示されていた地雷に関するトリビア。どれもすごく興味深いので、日本語訳を後述します
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1.オタワ条約(対人地雷全面禁止条約)が162カ国で締結されている
2.地雷に関する支援を受けているトップ5の国はアフガニスタン、イラク、ラオス、カンボジア、シリア
3.地雷は現存する武器のなかで最も古いタイプの武器
4.1996年には地雷による事故は4320件あったが、2015年には111件まで減少
5.カンボジアにはいまだ400万
〜600万個もの地雷が埋まっていると言われている。見えざる武器であるため、正確な数を把握することは不可能である
6.アキラのチームはこれまでに4,572,216平方メートルの土地の地雷を撤去した
7.カンボジアには地雷撤去を行う組織が5つあり、3,500人が地雷撤去のために働いている
8.カンボジアは2025年までに地雷をすべて撤去するという目標を掲げている
9.1979年にクメールルージュが現れて以来、64,000人が地雷によって怪我をしたり命を落としている
10.2017年時点で、カンボジアにはいまだ1950平方キロメートルの土地が地雷撤去されないまま残っている
11.ポルポト政権時代にカンボジア国民の25%が虐殺された
12.1平方メートルの土地の地雷を撤去するためにおよそ0.5ドルのコストがかかる
13.アメリカ、日本、EU、ノルウェー、ドイツが地雷撤去支援を行っているトップ5
14.地雷は1個作るのに5ドル〜27ドルしかかからず、時間がたっても必ず爆発する

人間が作り出してしまった恐ろしい武器、地雷

戦争と地雷に翻弄された人生だったにも関わらず、地雷の撤去のために残りの人生を捧げたアキラさんの生き方

少年兵として、彼はずっと被害者だった

それでも、その過去を憎んでそこから逃げるのではなく、自らが設置してきた地雷を撤去するという生き方を選んだ

人間は本当に愚かな生き物だと思う

欲にまみれて生きている

それでも、アキラさんのような方がいらっしゃることが救いだ

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